昭和4年(1929年)生まれ、97歳 (令和8年(2026年))。
原爆が投下された8月6日夕方、祇園の旧道(現在の広島県道277号古市広島線)を通って観音から帰宅されました。旧道が不思議なほどきれいに片付けられていたのが印象に残っておられます。
昭和20年(1945年)8月の頃は、学徒動員で観音の三菱に仕事に出ていました。原爆が落ちた時、当時の上司が「広島に大きな爆弾が3発落ちたらしい」と話していました。みんな「原爆」の知識はなかったので、上司や他の大人たちもそのように思ったのだろうと思います。
原爆が落ちた後、市内中心部は大火事で通り抜けることはできませんでしたので、己斐の山を越えて祇園の方に帰る人も多かったようです。私も西原には帰れないので、向洋の方へ行ってしばらくそこにいました。やがて市内中心部の火事も下火になってきたので、私も西原に向かいました。
途中祇園の旧道を通りましたが、夕方には道はきれいに片付けられていました。犠牲者の方の死体などもきちんと片付けられていて、不思議なほどきれいでした。西原の自宅に帰り着いたのは夕方の5時ぐらいだったと思いますが、はっきりとは覚えていません。
自宅の大広間には被害者の方がたくさんおられました。父や母などが被害者の方のお世話に忙しくしていました。私を見ても、「無事でよかった」といった言葉もかけてもらえなかったように思います。
自宅の2階の窓ガラスは原爆の爆風で壊れ、破片が部屋の中に飛び散っていました。父や母などは原爆が落ちた時には1階にいましたので、爆風によるケガはありませんでした。このことは本当によかったと思います。
このホームページに掲載している写真や説明を転載する場合は、必ず事前に西原中町内会までご連絡いただき、許可を得てください。
ご連絡はお問合せからお願いします。