西原上十二神祇神楽の由来

 

本稿は、原学区社会福祉協議会「はらだより・掲示板」(令和元年(2019年)9月号)に、西原上十二神祇神楽保存会の沖本芳則会長(西原中町内会)が寄稿された記事を中心にまとめたものです。保存会の概要は、このページの後半に掲載しています。

 

西原上十二神祇神楽の写真は、こちらをご覧ください。

 

神楽の知識について、このページの最後に掲載しています。

 


西原上十二神祇神楽:

西原上十二神祇神楽は、天明3年(1783)から5年間に及ぶ洪水、飢饉、疫病に襲われて大きな打撃を受けた西原村住民が、悪疫を祓い五穀豊穣を祈って奉納したことを起源としています。備中神楽や出雲神楽の流れを汲み、身のこなしが素朴で古風なことが特徴となっています。十二神祇の呼称が示すように12種目の舞からなり、そのうちの9種目が昭和49(1974年)年8月に広島市の重要無形文化財に指定されました。かつて西原を上組と下組に分けて隔年ごとに奉納していましたが、昭和34年(1959年)からは上組のみとなり、隔年の上演となっています。

 

昔は、この神楽を舞う人達を「舞子連中」といい、現在は昭和34年(1959年)から「西原上十二神祇神楽保存会」が舞い続けています。

 

経験者は一応の事は身に付けていますが、初主演となる子役の場合は、文化財の指定を受けた時の8mm画像をDVDで再現して所作や口上、アクセント、言い回し等を理解してから舞を教えていくことになりますので時間がかかります。大人の場合でも、古い言葉や意味のわからない言葉、古い言い回しを覚えて忘れないようにするのには苦心します。

 

稔りの秋には冬木神社に集って、その年の農作物を神に捧げ、夜はこの素朴な神楽を楽しんだことを思うと、この神楽の中にこそ、西原の伝統の血が流れていると思われます。

 


神楽の種目:

この神楽には「湯立て舞」等12種目あり、煤掃き、神降し、刀舞、大鬼小鬼、幡舞、鯛釣リ、岩戸、薙刀舞、荒平の9種目は昭和49年(1974年)8月12日に「広島市指定重要無形丈化財」として指定を受けました。

 

煤掃き

猿田彦命が神を迎えるために拝殿を掃き清める舞である。東西南北を棒でもって清め、続いて上下を清める。かき集めた煤を捨てる動作で終わる。

 

神降し

東西南北と中央に天蓋をつるす。中央の天蓋に神殿から神をお迎えするための舞である。リズムは極めて単調であるが、演舞の表現方式が舞楽的で神楽本来の呪術的精神が含まれている。

 

刀舞

「所務分け」の舞の一部で、太郎、二郎、三郎、四郎の4人が五郎と合戦するために武術の練習をする舞である。春夏秋冬の四季の歌を歌いながら勇ましく舞う。

 

大鬼小鬼

悪魔を象徴する大鬼と小鬼を杵築大明神が弓と矢を持って退治する舞である。従者の芝郎は、時に勇敢に、時におどけながら杵築大明神を助け、最後は網で小鬼をとらえ、剣で大鬼を退治するという天下泰平を表現したものである。

 

幡舞

6本の旗を上手に使って優雅に舞い、平和を祝い喜ぶ舞である。小さな竹に四季を示す青・赤・白・紺の4色の色紙をつるす。

 

鯛釣り

恵比寿天が鯛を釣り、稔りと豊穰を謳歌する舞。

 

岩戸

天の岩戸の前で、天宇受売(うずみ)の命が舞を舞い、手力男(タジカラオオ)の命が天照大神を岩戸の外に連れ出したので、暗黒の世の中が再び明るい世の中になったと言う神話を舞にしたもので、神楽の起源と言われている。はじめに手力男の命が由来を説明する。

暗闇の世の中になった時「太鼓隠し」という泥棒が出てきて宝を盗みだす場面がある。

 

薙刀舞

薙刀を持って勇ましく舞い、天下泰平を祈る。

 

荒平

荒ぶる神と大夫が遭遇し、互いに自己を誇張しながら問答をするが、ついに荒平は大夫に説き伏せられる。そして荒神の魔力を象徴する鬼の棒と、正義を象徴する大夫の剣を交換し、荒平はよき神となって天下泰平・五穀豊穣を祈って舞うというめでたい舞である。

この神楽の中で最も豪華勇壮な舞である。

 


西原上十二神祇神楽

―広島市指定重要無形文化財-

昭和49年(1974年)8月12日指定

 

◎西原附近の土地柄について

西原附近は太古瀬戸内海の入江であり、太田川が長年上流から連んで来た土砂が推積して出来た氾濫原で、土地が低く人々は常に洪水にさらされて居り、そのため戸坂、山本、青原等の地区に比べると開発も遅れ、人口も少かった。

 

寛永年間(1624年~1644年)には度々太田川が氾濫し、安永7年(1778年)の洪水、天明3年~5年(1783年~1785年)には飢懣・疫病が続き、西原村は大きな打撃を受けた。

 

私達の祖先はこの様な打撃を受けながらも堤防を築き、耕地を開炻して来た。

近年は野菜の産地、特に西原人参の里として、広く知られた西原も、昭和35年(1960年)、 国道54号線が建設されると急速に変って来た。水泳をしたり魚を獲った太田川、古川、安川や用水路は汚染され、たんぽぽが咲き螢が飛んだ土手 (堤防)や河原の昔の面影はなくなった。

 

急速に進む都市化によって生活様式も人情も、古いものから新しいものに移り変り、郷上の仲聞作りに役立ち、生活にうるおいを与えていた神楽、盆踊り、とんど等伝統的な行事が消えてゆくものもある西原の昨今である。

 


西原上十二神祇神楽保存会の紹介: 2021年10月1日現在

 

太田川と古川、旧安川の3本の川が運んできた土砂が堆積してできた、安佐南区の西原地区。土地が低いため、たびたび洪水に見舞われました。特に天明3年(1783年)からの5年間は、洪水だけでなく、飢饉や疫病が西原村を襲い大きな打撃を受けました。村人たちは悪疫を払い、五穀豊穣を祈るために、冬木神社に神楽を奉納することに決めます。これが西原上十二神祇神楽の起こりとされています。備中神楽や出雲神楽の流れを組み、身のこなしが素朴で荘重なところが特徴で、激しい動きの沼田町の阿刀神楽とは対照的です。神迎えに子供を使う点などにも古風がよく残っています。西原上十二神祗神楽は、昭和49年8月12日に広島市の重要無形文化財に指定されています。

 

代表者名(役職)/沖本芳則(会長)

連絡先/広島市安佐南区西原5丁目16-20 082-874-1067

神楽団の創設時期/昭和34年

団員数/ 26人

保持演目/ 9演目(煤掃き、神降し、刀舞、大鬼小鬼、幡舞、鯛釣り、岩戸、薙刀舞、荒平)

地元神社/冬木神社

地元神社での上演時期/ 10月第3土曜日(隔年実施)

過去の上演実績/隔年冬木神社秋祭りに奉納

出張神楽上演/不可

 

出典: 広島広域観光情報公式サイト「ひろたび」