西原からハワイへの移民~設語さんとカヲルさんの物語~

 

ハワイへの移民は、明治18年(1885年)から官約移民が始まり、その後民約移民となり、大正13年(1924年)まで続きました。西原からも相当数の方がハワイに移民し、現地でサトウキビ栽培などの労働に従事しました。

 

このページでは、明治の終わり頃(1910年頃)から大正末頃(1924年頃)までハワイに移民され、その後西原に帰ってこられた、関本設語さんとカヲルさんご夫婦の写真を掲載しています。

 

このページの作成にあたっては、西原8丁目の関本利明さんに大変ご協力をいただきました。

 

西原の移民の歴史については、こちらをご覧ください。(ここをクリック)

 


設語さん、明治21年(1889年)、西原村に生まれる。

カヲルさん、明治29年(1896年)、緑井村に生まれる。

 

設語さんハワイに移民: 明治末(1910年頃)、ハワイ・ヒロに移民(自由移民)。設語さん21歳頃。

写真は当時のサトウキビ畑の様子。

 

設語さんのお見合い写真: 大正2年(1913年)、節語さんは24歳(数え25歳)。

ハワイでの生活が安定してきた節語さんは、故郷の広島からお嫁さんを迎えようと、お見合い写真を撮りました。

 

カヲルさんの決断: 大正3年頃(1914年頃)。カヲルさん18歳頃。

節語さんのご実家の縁で、カヲルさんは節語さんと結婚を決意されました。

神戸港からハワイ行きの客船に乗船されたカヲルさんは、最初の1週間は船酔いのため食事が喉を通りませんでした。船の中で初めて見た洋式トイレ。その使い方がわからなくて、とても困ったことが強く印象に残っておられたそうです。約1か月かけて、船は無事にハワイに到着しました。

写真は渡航前のカヲルさん。

 

ハワイのカヲルさん 大正6年(1917年)2月。 カヲルさんはハワイにわたり、設語さんと結婚。服も着物からドレスに変わりました。(右は設語さんの弟さん)

 

ハワイのカヲルさん設語さん 大正9年(1920年)頃。ハワイの暮らしにも少しずつ慣れてきたカヲルさんです。

 

大正11年(1922年) 設語さんカヲルさんは帰国。

 

昭和42年(1967年) 設語さん逝去、享年78歳。

昭和55年(1980年) カヲルさん逝去、享年84歳。


西原のみなさんの移民の記憶:

 

西原4丁目 Yさんの記憶:

広島県は、全国の県の中でも、最も移民が多い県とのことです。

私の親戚にも、戦前、ハワイ、米国、フィリピン、中国と昭和初期に移民を経験した人が多くいます。

戦前は、移民が多い時代だったのですね。

 

西原4丁目 Mさんの記憶:

未開の地で働くのは相当の覚悟がいったと思います❗

日本人の辛抱強さは大したものです。

私の曾祖父もハワイに移民したらしいですが、病気になり、日本に戻って来れなかったと聞いています。