NHK電波塔の歴史

 

このホームページのトップでも掲載しているNHK電波塔。西原中町内会のどの区域からでも見ることができます。初代の電波塔が建設されてからすでに約100年、町内会のシンボルのような存在です。 

 

NHK電波塔の写真については、こちらをご覧ください。(ここをクリック)

NHK電波塔と終戦については、こちらをご覧ください。(ここをクリック)

 

なお、本文中、特に注釈がないものは、「西原今昔物語」から引用しました。

 


NHK原放送所:

昭和2年(1927年)8月30日、広島県安佐郡原村字岡畑666番地の1(安佐南区西原)に面積3957.75坪を敷地として、建築に着手し、昭和3年(1928年) 7月6日、晴れの開局を見るに至った。

 

昭和3年(1928年)7月6日午前11時、「JOFK. JOFK、こちらは広島放送局であります。」と、津島定一アナウンサーの甲高い声が遠くまで呼び掛けるように真夏の空に広がった。

 

低いアンテナ:

昭和3年(1928年)の開局当時は、高さ35mの低いアンテナであった。このアンテナはイギリスの特許であり、低い割合に能率がよいとされていたが、実際に放送に使用してみると余り良くなかった。 

戦時中の昭和17年(1942年)に支線式の高さ137mの三角塔型鉄塔に立て替えられたのが、現在の鉄塔である。

 

写真は、昭和17年(1942年)頃のNHK電波塔。 


NHK電波塔に関わる話:

昭和初期の放送内容:

平日の放送は9時の経済市況に始まり、料理献立、講演、ニュース、公知宣伝、子供の時間、修養、音楽、演芸、浪花節、講談、落語等で明日の天気予報で終わった。

 

スタジオ外の中継もあった。昭和7年7月7日浅野長勲候の泉邸からの講演、昭和5年10月4日大相撲秋本場所(横綱常の花)の生放送、昭和6年11月17日満州派遣広島部隊(広島部隊の指揮官は杉本大尉で西練兵場の壮行会で見送った)の実況放送、昭和8年8月8日厳島神社の管絃祭など。

 

当時(昭和初期)のラジオ聴取者(3459人)の嗜好番組のアンケートは、次のようなものであった。

浪花節787人、ニュース414人、修養講座393人、義太夫203人、科学講座195人、民謡161人、琵琶160人、管弦楽148人、その他325人。

 


私たちの記憶:

 

NHKの職員:

私が幼少の頃、NHK電波塔に用事のあるNHKの社員は、市内から可部線で下祗園駅まで来て、その後フマキラーの工場の横を通り、我が家の裏(西原1丁目と4丁目の境あたり)を通ってNHK電波塔に行っていました。小さなあぜみちでしたが、最も時間的に魅力ある最短ルートでした。当時はまだ国道183号線もなく、JR可部線または旧国道のバスを利用するしかなかったものと思います。

また、西原にもNHK電波塔にて仕事をしている方もいました。当時としては、安定している勤務先であったようです。(昭和30年代(1950年代))

(西原4丁目在住 Yさんのお話)

 

NHK電波塔の周辺:

NHK電波塔の敷地内には、東側に沼があり、各種様々な生物が生息していたことを記憶しています。沼の近くを流れていた八木用水の小出(こいで)に、スッポンがいたのですが、小学生の私には補足することができませんでした。その悔しさから、現在自然から補足したスッポンを飼育して、小学生時代を思い出して楽しんでいます。(昭和30年代(1950年代))

(西原4丁目在住 Yさんのお話)

 

NHK電波塔の下:

子供の頃NHKの搭の下でプラモデルを動かして遊んでいました。(昭和30年代(1960年代))

(西原4丁目在住 Mさんのお話)

 

ラジオ体操:

広島放送局がラジオ体操を始めたのは昭和4年(1929) 3月18日である。以後は休日を除いては毎朝7時に広島歩兵11連隊から派遣されたラッパ手の起床ラッパで開始し、広島師範学校池田教諭の号令で行われ翌5年5月1日東京からの中継があるまで行われた。

 

雪合戦:

当時の原尋常高等小学校は尋常科6年、高等科2年の8学級で在校生300余名位で運動場は狭かった。

雪が昔はよく降っており、朝礼後4年生までが運動場で雪投げをした。5年生以上と高等科の生徒は、学校の南にある原放送所まで走って往復し、現在の野球場あたりで思い切り雪合戦に興じたものだった。

 

トロッコ:

原放送所の田を埋めたてるのには、五軒屋の浜の処に洪水の毎に大きくなった州があり、その場所から大芝堤防に上がり放送所の埋立地までレールを引いて卜ロッコ車によって土砂は運ばれた。トロッコは2車3車と連結され大きな馬によりゆるくて長い坂を引上げられた。大きな牽馬は人夫の日当の5倍から6倍位支払われた様であった。

日曜日には作業が休みなので近くの悪童連中等は五軒屋の浜に集まり空のトロッコを皆で押して土手に押し上げて一勢に飛び乗る。ゴトンゴトンと最初はゆるく次第にトロッコはスピードを上げ河原に向う。その爽快さに歓声を挙げるのであった。こんな遊びを夕方近くまであきもせずやったものである。