西原七丁目の昔の写真

 

本稿は、「ふるさと祇園とその周辺」等により作成しています。それぞれの写真等に出典元を掲載しています。

地図の撮影場所(矢印)は、推定のものです。正確な撮影場所をご存知の場合は、お知らせください。

 


竹林: 西原七丁目、昭和28年(1953年)。古川の河口近くはよくハヤなどが釣れた。

 

当時、古川河口(祇園中学校東側)で、友人と釣りをしていました。古川河口は、現在よりも、はるかに深く魚も沢山生息していたものと思います。餌は、竹藪から大型鉄砲ミミズを集めて来て、餌として針に付けました。リール式の釣り道具を利用して、よくナマズ等を吊り上げました。家に持ち帰り、ナマズの蒲焼として、食べました。味は、マーマーだったと記憶しています。私の父は、うまいと言っていました。

又、古川河口近くの竹藪には、大きな桑の木もあり、桑の実が赤く熟れた時期には、桑の実も食べていました。

当時は、コンビニもなく、いつも私達は、おなかをすかしていました。

(ふるさと祇園とその周辺)。

 

カラー写真は令和3年(2021年)3月撮影。

 

古川での水洗い作業: 西原七丁目、昭和28年(1953年)。古川で人参でも洗ったのであろうか?リヤカーで農産物を運ぶ事が一般的であった。(ふるさと原と私達)

 

古川口: 西原七丁目、祇園東中の東、昭和30年(1955年)。ほんとに静かな場所で、釣りする人の姿が時々見られるくらい。(ふるさと祇園とその周辺)。

カラー写真は令和3年(2021年)3月撮影。

 

畑仕事: 西原七丁目、昭和31年(1956年)。(ふるさと原と私達)

 

小春新開の春: 西原七丁目、昭和32年(1957年)。大正橋手前の旧祇園・府中線から北を写した風景。右半分の竹藪は西原側、中央のやや黒い竹藪は東原土手沿いのもので、その間を古川が流れている。左手の山は権現山、右手は阿武山。手前の作物は麦か水菜か春菊で、春先の風景と思われる。(はらだより・掲示板)

 

川遊びの子供達: 西原七丁目、昭和32年(1957年)。古川。(ふるさと原と私達)

 

川遊び: 西原七丁目、昭和32年(1957年)。古川での川遊びを語る人は今でも多い。(ふるさと原と私達)

 

大正橋: 西原七丁目、昭和32年(1957年)。大雨で大正橋がつかった時、当時の原小学校は早引きとなっていた。(ふるさと原と私達)

カラー写真は、令和3年(2021年)3月撮影。

 

古川つり風景: 西原七丁目、昭和33年(1958年)。当時古川と太田川が合流する附近ではコイ、ナマズ等の魚が良くつれた。つりは大人、子供共通の遊びであった。(ふるさと原と私達)

 

田の草取り: 西原七丁目、昭和33年(1958年)。(ふるさと原と私達)

 

柿の木と畑作業: 西原七丁目、昭和34年(1958年)。(ふるさと原と私達)