西原の秋

 

本稿は、「ふるさと原と私達」と「ふるさと祇園とその周辺」から引用しました。古い白黒写真は上土井正行氏が撮影されたものです。そのほかの写真は出典元を掲載しています。

 


お米の収穫:

 

「はぜ」と武田山: 西原2丁目、昭和32年(1957年)。

 

もみ干し: 長束6丁目、昭和33年(1958年)。美味しい米にするにはもみ干しは大切な仕事で、日に何回も集めて広げて満遍無く陽に当てる。

 

供出: 西原2丁目6、昭和34年(1959年)。 供出は作付面積に対して割り当てられる。32俵とは立派なもの。

なお、この写真は、現在のヤマト運輸広島西原2丁目センター(西原2丁目6番12号)付近で撮影されたものと思われます。

 

供出制度とは:

食糧管理制度の下で、昭和17年(1942年)から昭和54年(1979年)にかけて行われた、農民から米麦、雑穀、いも類などの主要食糧の一定量を、政府が決めた価格で、強制的に政府が買い上げる方式。(コトバンクより。こちらをご覧ください。)


お米の取入れが終わって:

 

はぜの下: 西原2丁目、昭和28年(1953年)。こんな光景もあった。時代の移り変わりである。

 

田んぼでの写生風景: 西原2丁目、昭和34年(1959年)。今は子供達の写生風景を見ることは少なくなった。時代の移り変わりであろうか。


令和4年(2022年)の西原の秋:

 

「はで干し」: 令和4年(2022年)10月、西原四丁目。

原小学校正門前の田んぼに機械化が進む中、めっきり少なくなった「はで干(ほし)」が有りました。

昔は当たり前の風景でしたが今は珍しい情景になり、鳥脅し「ロープ」が下げてありましたが、少数の雀がお構いなく籾(もみ)新米を食べていました。

出典: 西原中町内会 和泉鉄美氏撮影。文章も。


西原の秋の思い出:

 

西原4丁目 Yさんの記憶。

我が家も、米を長年作っていましたので、田んぼでの稲穂を「はぜ」にかけて、乾燥させている風景は、西原の秋の代表的な風景だと思います。私の原小学校の同級生は、農家が多かったので、皆、同じ様な思い出があると思います。また、八木用水から水を引き入れての水田作り、稲の田植えから稲かりによる収穫、脱穀、精米まで一連を経験してきた人にとっても、なつかしい思い出だと思います。