昭和39年東京オリンピックの頃 ~聖火ランナー西原を走る~


1964年に開催された東京オリンピックの聖火ランナーが、西原に入る直前とそれを待ち受ける住民の様子です。1枚目の写真には、旧祇園出張所バス停から西に向かって、武田山、火山方面が写っています。2枚目の写真には、広島信用金庫の建設予定地、その北が後に広島銀行、イズミ祇園店が建つ場所が写っています。

(土井氏撮影。はらだより掲示板)


参考:広島県の聖火リレー (NHKホームページから引用)

1964年9月20日、山口県との県境、大竹市で広島県にリレーされた聖火は、今の廿日市市(はつかいちし)を通って広島市を目指しました。右側に厳島神社のある宮島を眺めながら国道2号線(山陽道)を東へと進み、広島市にある広島県庁に到着。翌21日は、原爆の投下目標とされた相生橋(あいおいばし)を渡り、原爆ドームの横を通過しました。戦後19年で人口50万の大都市へと復興を遂げた広島、「平和の灯」を大切に守り続ける広島の人々は、“オリンピックの炎”を沿道で見守りました。広島市内を駆け抜けた聖火は国道54号線を北上、今の安芸高田市(あきたかたし)を経由して三次市(みよしし)へ。沿道の声援を受けながら竣工したばかりの赤名トンネル(あかな)を抜けて島根県へと引き継がれました。