西原胡子神社の歴史

 

このページは、西原今昔物語等から引用して作成しました。

西原胡子神社の写真については、こちらをご覧ください。(ここをクリック)

 


中世の西原は太田川の河口にあり、隣の祇園・堀立には太田川を川舟で運搬されてくる年貢米を一時保管する倉敷地があった。このため当時の西原は経済・流通の要衝として繁栄していた。住人や各地から集まってくる人々が物々交換するための市が毎月八日にこの地で開かれた。「八日市」という地名もこれに由来している。

 

西原胡子神社は、この地に商売繁昌と住民の福利増進を祈願して建立された。建立の時期は明確ではないが、明応年問(1492年〜1500年)と伝えられている。

 

胡子神社の祭礼も年々盛んに行われていたが明治末期、氏子中の有力者達の発意により、西原冬木神社に合祀された。

 

昭和8年(1933年)頃より、有志の人たちは永年八日市地区発展のため鎮座した胡子神社のこの地への還御を切望し、昭和19年(1944年)3月漸く実現し仮社殿が建立された。

 

この仮社殿も本格的社殿の再建が切望されながら実現しないまま、祇園公民館建設のため移転の必要に迫られ、氏子有志の尽力により現在の西原1丁目、国道54号線筋・NHK放送所前バス停横に再建されることとなった。昭和37年(1962年)11月、本殿並びに拝殿が落成した。

 

秋の胡子例大祭には地区子供会を中心に法被姿の子ども達の御輿行列や餅撒きなどの行事が盛大に行われ賑わっている。

 

(西原今昔物語より)

 

 


西原胡子神社: 令和3年(2021年)11月14日撮影。

2枚目の写真は八日市にある西原中町内会の掲示板。この道をまっすぐ行くと、西原胡子神社にたどり着きます。


教えていただきました:

 

西原胡子神社の例大祭:

西原胡子神社の例大祭は、胡子神社(広島市中区胡町)のえびす講の時期に開催します。

西原の商売の神様として信仰を集めています。

コロナウィルス感染拡大の前は、祇園公民館で餅をついて、原南集会所近くの公園で餅まきをしていました。軽トラの荷台に台を設置して、そこから餅をまきました。現在は原南集会所の2階から餅をまいています。

原の順番の時は、ニンジン公園(西原第一公園)を会場にして、同じように餅まきをしています。

 

子ども神輿: 

西原胡子神社の子ども神輿は、以前は原学区の新町子ども会と原南学区の子ども会が1年交代で行っていました。しかし、新町子ども会が6年前に休会となり、原学区子ども会連合会に子ども神輿を引き継いで欲しいと依頼がありました。その後、コロナウィルス感染拡大に伴い、子ども神輿はずっと中止になっていました。

令和5年(2023年)11月19日(日)に行われた胡子例大祭の際、4年ぶりに原南で子ども神輿が復活しました。