西原の里道

 

本稿は、原学区社会福祉協議会発行「はらだより・掲示板(令和4年(2022年)4月号)」をもとに作成しました。

 


迷路のような西原の道路網ですが、おおむね、生活道として3尺道。農道4m道と、通過型の都市計画道の4種類からなっています。これらが絡み合っているので複雑そうですが、時代を反映していると思えば愛着がわくかもしれません。

 

藩政時代からの三尺(約90cm)道:

学区内を網羅しており、近道として重宝されます。用水支線と並行する場合、蓋をすれば2m弱の道になりますが、車は通れません。

写真は、西原8丁目、令和4年(2022年)6月に撮影。

明治中頃からの通称農道:

明治初期に荷車が普及し始め、明治22年(1889年)の町村合併以降道路幅の拡張が急速に進みました。両側から1尺強を提供してほぼ2m幅としました。すべての農家はこの道に面していました。

写真は、西原8丁目、令和4年(2022年)6月に撮影。

車の普及で4m幅:

昭和35年(1960年)頃から建設され、多くが農道を踏襲していますので、よく曲がっており、車の離合には神経を使います。

写真は、西原8丁目、令和4年(2022年)6月に撮影。