西原人参

 

本稿は、上土井正行氏撮影の写真、原学区社会福祉協議会の「社協だより」はらの記事等により作成しています。

 


西原人参の写真: 

昭和30年代に撮影。本物の西原人参が写っている貴重な写真。

 

西原人参の形状(推測):

令和3年(2021年)12月現在、西原人参は本格的な栽培はされておらず、一部の家庭菜園でしか見ることができない。写真のような形の金時人参で、今でも西洋料理には西洋人参、和食には金時人参と使い分けている家庭もある。

 

西原人参の花:

出典: 原小学校ホームページ


西原人参について(出典:原学区社会福祉協議会の「社協だより」はら第79号(2020年))

 

西原中町内会は、中央を東西横断する道路に「にんじん通り」という愛称を付けました。時代も変わりましたので「西原人参(金時人参)」について紹介します。

 

人参の原産地は中央アジア・小アジアで、東回りに中国へ伝わったのが赤色の金時人参系(東洋系)で、江戸時代の初めころに日本に伝わってきました。一方、西回りに伝播したのがオレンジ色の西洋人参で、オランダ•イギリス等を経由して江戸時代後期に日本に伝わってきました。

 

伝来した金時人参は、当時の農業書物に「菜園に欠くベからず」と記載されるほど注目され、急速に全国に広まっていきました。

その一端が西原人参で、文政2年(1825)年の広島藩の地誌「芸藩通志」に『胡蘿蔔(にんじん) 郡東(沼田郡)十八村に作る、世に廣島人参と称す』と紹介されています。

 

明治になって地元の篤農家が大阪から金時人参の種を取り寄せ、品種改良や栽培方法の研究等を通じ地元に普及させたと言われています。こうした努力で「西原の人参は特に味が良い」と評判になり、ブランド化に成功しました。最盛期には大阪市場まで貨車を借り切って出荷していたといいます。

 

昭和35年(1960年)ころまでは、9丁目から4丁目・1丁目にかけて南北に連なる畑作地と堤外地のほとんどで人参が栽培され、その合間に人家があるような風景でした。思い返すと何であんなに人参を消費していたのか不思議でたまりません。‘京人参’とも呼ばれお節料理には必須の食材でした。

 

種まきは原爆の日からお盆までの間、すなわち盛夏と決まっていました。深めに耕して浅く溝をつけ、その中へバラバラと薄くて軽い種をまいていきます。人参の種は好光性ですので、辛うじて種が埋まるくらいうすく土をかぶせて、踏みしめ、この窪地を一握りの藁で覆っていきます。

強い日射と乾燥に弱いので、その後で水をかけておきます。畑2~3枚も播くうえに、その後3週間あまり水をやらなければならないので大変な重労働です。それだけではありません。発芽してから1〜2週間は、夜露に当てるために夕方に藁を取り、日が高くなる前に再び覆うという作業を本葉1〜2枚が出るまで続けなければなりません。本葉が4~5枚で、15cmあまりに成長すると間弓き作業が始まります。成長の良い苗をほぼ10cm間隔で残していきます。しゃがみこむ窮屈な姿勢のうえに葉が絡み合っていて、きれいに整えるには結構神経と体力を使う作業です。間引き菜は「にんじん葉」として出荷していました。

 

収穫は厳寒期にあたる12月から2月頃にかけてです。何百本という人参を抜いて家まで運び、鎌で節を削って形を整え、6本程度を藁で束ねて、八木用水や古川の洗い場で土を落としてきれいにします。

 

変形した市場価値のないものは“ガリ”と呼ばれ廃棄されました。積もった雪をかき分け、手が切れそうなほどの冷たい水で洗い、荷造りをして、早朝4時に起きて広島の市場に荷車やリヤカーで運ぶのは並大抵のことではありません。

 

このように人参栽培は、苦労の象徴と言ってもいいくらいで、昭和40年代半ばには、人参畑は瞬く間に姿を消していきました。原小学校の校章はにんじんの葉で構成されていますし、人参の話をすれば地元の人はみんな 懐かしがります。苦労ゆえの愛着があるのでしょう。

  

原小学校の校章:

”原”の文字の周囲を西原人参の花(上部)と葉(下部)で包み、シンボル化したもの。

出典: 原小学校ホームページ


西原人参の思い出:

 

父や母が人参を西原1丁目の畑で栽培して、4丁目の八木用水で洗い、十日市の市場に、リヤカーで運んで出荷していたことを記憶しています。リヤカーで運んでいましたが、その後野菜を市場まで運んでくれる運送会社が出現して、運送は専門運送会社が担当してくれるようになりました。これにより人参作りの負担がいくらか軽減しましたが、やはり大変な重労働でした。

(西原四丁目 Yさん)

 


人参を掘ってみました!の記:

ホームページ運営委員会では、地域の有志の方のご好意により、人参堀りを体験させていただきました。

 

まずは、人参堀り用の鉄のT字バーで、人参の茎の周りを掘り起こします。バーをうまく刺さないと、土中の人参を痛めてしまうので気を使います。(1枚目の写真)

 

次に、手で持って人参を引き抜きます。「腰がしっかり落ちていないと、腰を痛めますよ」とのアドバイスをいただきました。(2枚目の写真)

 

がんばって人参を引き抜きました。人参を掘り起こすのはかなりの重労働です。西原人参を栽培された方々のご苦労が偲ばれました。(3枚目の写真)

 

西原人参と同じ金時人参(右側)と西洋人参(左側)。はっきりと違いがわかりますが、どちらも美味しくいただきました。(4枚目の写真)

 

(令和3年(2021年)12月)