西原の江戸時代の道

 

本稿は、原学区社会福祉協議会発行「はらだより・掲示板(平成30年(2018年)3月号)」をもとに作成しました。

 


「芸藩通志(げいはんつうし)」は有名な書物で、復刻版もたくさん出版されていますからご存知の方も多いと思います。

この本は、『日本外史』の著者である頼山陽の叔父にあたる頼杏坪(らいきょうへい)らによって編纂された広島藩の地誌で、文政8年(1825年)に完成しました。古くは、1663年に広島藩が作成した「芸備国郡志」上下2巻がありましたが、100数十年を経たため改修事業に取り掛かり、新たに1818年から再調査や資料の整理を始めて、7年を要して全159巻が完成しました。村々には、事前に作成要領「国郡志村々書出帳略案」やサンプルが提示されたため、統一された形式を備えています。とりわけ各村の絵図が掲載されているのが貴重で、当時を彷彿とさせるものがあります。

 

今回は 村絵図 を紹介します。

道が点線で表示してあるので、それをたどって写真にまとめてしてみました。図中の数字は、写真の番号に呼応しています。

 

なお、南北方向の道はほとんどが用水と一体となっており、八木用水の工事(完成は明和5年(1768年))と並行して広範囲に整備されたものと思われます。ただ、3河川の堤防が記載されていませんので、このころはまだ無堤防状態だったのかもしれません。

 

また、学区内には絵図の道とは異なる3尺幅の道が、車社会から取り残されたように残っている所があります。いわゆる「里道」と称されるもので、集落や家々を結ぶように分布しています。これらは明治22年(1889)年の市町村制の施行後に改修が進められたもので、既存の道を整備したり、新設したりしたものと思われます。