「マンガで描く焦土の放送局〜電波を出せ!放送を続けよ!〜」で描かれたNHK原放送所

 

昭和 20 年(1945 年)8 月 6 日、広島に原爆が投下されたあの日、西原の「NHK 原放送所」が果たした歴史的な役割は、NHK 広島放送局が制作した漫画冊子でも分かりやすく描かれていますので、その内容をご紹介します。

 


原爆投下後、西原を目指したNHK局員たち:

 

原爆投下により、広島市内(上流川町)にあったNHK広島中央放送局の局舎は壊滅的な被害を受けました。

しかし、当時から「万が一、市内の局舎が焼失した場合は、5キロ北にある『原放送所』(西原)に集合して放送を維持する」という約束が決められていました。

 

原爆投下後、陸路は倒壊した建物と猛火で塞がれていたため、局員たちは太田川に入り、川を上って西原を目指しました。時には首まで川の水に浸かりながら、一歩一歩、西原へと進みました。

 

岡山放送局へ送信された、原爆に関する「幻の第一報」:

 

夕方までに、西原の原放送所には命からがら十数人の職員が集まりました。そして、やっとの思いで復旧させた連絡電話で岡山放送局につながり、次のニュースを送信しました。

 

「6日午前8時16分ごろ、敵の大型機1機ないし2機、広島市上空に飛来し、1発ないし2発の特殊爆弾を投下した。これがため、広島市は全焼し、死者およそ17万の損害を受けた」

 

このニュースは、当時の大本営からの指示により公開されませんでしたが、広島から発信された原爆に関する第一報でした。

 

被爆からわずか24時間後、西原から流れた「希望の電波」:

 

そして翌朝、原爆投下からわずか24時間後の8月7日朝、西原の電波塔から、ラジオ放送の電波が発信されました。

この時、最初に流れたのは、大きな被害に苦しむ市民への哀悼と励ましを記した「広島県知事の告諭」でした。焦土と化した広島で、途方に暮れていた市民たちに希望を届けたのは、西原から流れたこのラジオの声でした。

 

歴史は今も、西原の地に生き続けています:

 

漫画の最後にも描かれている通り、かつて局員たちが命がけで目指し、希望の電波を送り出した「原放送所」の跡地には、今も大きなNHK電波塔が立っています。

あの日から80年以上の歳月が流れた今も、この西原の空から、電波が送り出され続けています。

 

 

被爆80年の令和7年(2025年)8月6日のNHK電波塔


【特別公開】漫画の一部をご紹介いたします:

 

この度、NHK広島放送局のご好意により、「マンガで描く焦土の放送局」の「原放送所」に関わる部分を特別に掲載させていただけることになりました。

私達の西原が持つ大切な歴史の1ページとして、ぜひご覧ください。

 

なお、本ページに掲載している漫画画像の著作権はNHKに帰属しています。画像の無断複製、二次利用、他サイトへの無断転載等は固く禁止させていただきます。ご理解とご協力のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

 


「マンガで描く焦土の放送局」の冊子全編(実物)は、NHK広島放送局等でご覧いただけます。

 

NHK広島放送局:

〒730-8672 広島市中区大手町2-11-10 電話:082-504-5111

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