ここでは、西原の古い道を紹介します。かつて西原のメインストリートといわれた道、西原の里道、西原の江戸時代の道について、それぞれ紹介しています。
それぞれの写真等に出典元を掲載しています。
西原の里道については、こちらをご覧ください。(ここをクリック)
西原の江戸時代の道については、こちらをご覧ください。(ここをクリック)
西原のメインストリート:
西原を南北に貫いて走る道路は、かつては西原のメインストリートでした。
この道路沿いには、西原の重要な施設がほとんど立地しています。北から、明福寺、原農協、冬木神社、旧原村役場、旧原小学校、原小学校などです。この道は八日市(現在の西原一丁目)で、太田川の港と祇園を結ぶ運搬道と合流します。
赤い道が西原の本通り、青い道はその他の主要道路です。
地図の出典: 国土地理院1万分の1地形図(平成19年(2007年)5月1日発行)
西原の本通りの沿線の風景:
明福寺付近: 令和4年(2022年)6月撮影。
原農協付近: 1枚目の写真は昭和20年(1945年)代に撮影されたと推測される原農協の写真(出典:原爆と祇園町(広島市祇園公民館))。
2枚目は令和4年(2022年)6月に撮影した原農協。
冬木神社附近: 写真は令和4年(2022年)6月に撮影。
原小学校・旧原村役場付近: 1枚目の写真は、昭和12年(1937年)新築の原村役場(出典:西原今昔物語)。
2枚目は、昭和35年(1960年)に撮影された旧原小学校(出典:ふるさと原と私達)。
3枚目は、令和4年(2022年)6月に撮影。左のフェンス側に旧原村役場、右側に旧原小学校が立地していました。
八日市付近: 現在の西原一丁目付近は八日市と呼ばれ、太田川河口で太田川の舟運、瀬戸内海の海運、山陽道の接点で、交通の要衝、経済の中心地であったといわれます。「佐東八日市」といわれる定期市が毎月8日に開かれていました。また、西原胡子神社も八日市に建立され、今に至っています。(出典:西原今昔物語)
写真は令和4年(2022年)6月に撮影。道の突き当りを右に曲がって20mくらい歩くと、太田川の港と祇園の間の運搬道との合流点。
西原の里道:
西原の江戸時代の村地図:
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