祇園の旧国道

 

祇園の旧道は昭和39年(1964年)に県道古市広島線となるまでは、国道54号線であったことから、今でも旧国道と呼ばれています。本稿では、昭和40年代(1960年代後半)の風景を撮影した写真を掲載しています。

なお、本稿は、わがまち祇園町(昭和60年(1985年)祇園公民館編纂)等から引用して作成しました。それぞれの写真等に出典元を掲載しています。

 


安神社附近(横川方面): 昭和42年(1967年)。カラー写真は令和4年(2022年)4月撮影。

 

写真の出典: 祇園町町勢要覧(昭和43年(1968年)版)

安神社附近(可部方面): 昭和58年(1983年)。カラー写真は令和4年(2022年)5月撮影。

 

写真の出典: わがまち祇園町

中祇園附近(下祗園駅近く): 昭和58年(1983年)。カラー写真は令和4年(2022年)5月撮影。

 

写真の出典: わがまち祇園町

いぼ地蔵(祇園1丁目31番付近): 昭和58年(1983年)。いぼ地蔵は投石地蔵と呼ばれ、武田光和が武田山から投げた石といわれる。明治時代の頃までは、いぼ地蔵脇の松の葉で人の身体にできたいぼをつくと治るといわれていた。(出典:(公財)広島市文化財団ホームページ「雲石街道1」)

カラー写真は令和4年(2022年)5月撮影。

いぼ地蔵: 令和4年(2022年)5月撮影。

 

写真の出典: わがまち祇園町


フマキラーの工場と安川: 祇園一丁目と西原一丁目、昭和32年(1957年)。当時フマキラーの工場はとりわけ大きな建物でどこからでも確認する事ができた。当時の安川の「流れ」を示す貴重な写真である。

カラー写真は令和4年(2022年)5月撮影。

 

出典: ふるさと原と私達