西原六丁目 Oさんの記憶

 

令和7年(2025年)

原爆で亡くなった大叔母(当時16歳)のために、今でも毎週月曜日に、ご仏壇にご飯と水をお供えし、手を合わせておられます。

 


大叔母が原爆で亡くなったこと、そして祖母のお茶漬けの思い出:

 

80年前、広島に原子爆弾が投下され、私の大叔母にあたる芳枝(よしえ)さん(当時16歳)は、その尊い命を奪われました。当時、産業奨励館(現在の原爆ドーム)に勤めていた芳枝さんは、爆心地からほど近い場所で、爆発の衝撃とともに即死だったと伝えられています。

 

翌日から、祖父と祖母、そして父の3人は、何日も市の中心部へと足を運びました。瓦礫と化した街に人々の悲しみが充満する中、必死に芳枝さんの行方を捜し続けましたが、その姿を見つけることは叶いませんでした。

 

それから80年という長い歳月が流れましたが、家族の芳枝さんへの祈りは、今も変わることなく続いています。祖母は毎日、仏壇に手を合わせ、「芳枝ちゃん、今日もありがとうね」と語りかけていました。そして、仏壇に供え、固くなったご飯を茶漬けにして食べるのが祖母の習慣でした。その光景は、幼い私の心に深く刻まれています。

 

私自身は芳枝さんに会ったことはありません。しかし、幼い頃から祖母のそんな姿を見て育ち、その祈りに込められた、尽きることのない深い思いを感じるようになりました。今、私は日々の生活の中で、祖母から受け継いだ大切な思いを胸に生きています。毎週月曜日には仏壇にご飯と水を供え、手を合わせています。祖母が芳枝さんを想い祈っていた姿を思い出すその時間は、祖母の祈りが私の中で紡がれていく、かけがえのないひとときです。

 

祖母はいつも「食べ物を粗末にしてはいけない」と繰り返し言っていました。被爆地広島で原爆の日が近づくと、祖母のこと、そして芳枝さんのことを強く思い出します。

 

今、私がこうして生かされていることに深く感謝し、祖母から受け継いだ思いを胸に、これからも誠実に生きていきたいと思います。

合掌