築嶋勝右衛門
最高位小結 寛政三年正月十一日没
江戸時代中期(安永・天明)に広島頭書関取等として活躍
功績により築嶋姓を賜る
(碑文)
明福寺の山門のすぐ右側に築嶋勝右衛門の墓がある。自然石を利用したこの墓石には没年と思われる寛政三亥年正月十一(1791年)という刻銘があり、また高宮郡古市村渡嶋平左衛門の名前や久蔵外4名の世話人の名前が刻銘されている。これらのことから、この墓が建立されたのは寛政時代(1789年~1801年)と考えられる。
さて、築嶋勝右衛門は、江戸時代中期に活躍した関取で小結まで昇進した安芸国(広島県)出身の力士である。日本相樸史(酒井忠正)によれば、力士として活躍したのは安永8年(1779年)から天明6年(1786年)頃までの7〜8年間であると言われている。(中国新間夕刊一昭和57年3月29日参照)
(西原今昔物語)
このホームページに掲載している写真や説明を転載する場合は、必ず事前に西原中町内会までご連絡いただき、許可を得てください。
ご連絡はお問合せからお願いします。