八木用水の保存活動

 

西原4丁目在住の山嵜和幸さんは、近隣に八木用水に関する施設を多く設置してこられました。定年で帰郷後は「都市域における用水路の在り方」を模索して、八木用水の保存活動を続けておられます。(原だより・掲示板 令和3年(2021年)2月号)

 


はじめに:

令和2年(2020年)12月に、写真1の様な看板(ふるさと原とわたしたち)を安佐南区西原一丁目の183号線西側に設置したところ、この看板を設置した理由を報告して欲しいとのコメントがあったことより、この書面を作成しました。そして、これまでの私の取り組みについても2)~5)に記載しました。

写真1

「ふるさと原とわたしたち」の看板(183号線沿)。左から

①八木用水をつくっている時の絵 

②八木用水流域地図 

③各ポイントでの写真 

④⑤⑥昔の183号線写真

 

 

国道183号線そばの巨大円盤:

直径3.4m純アルミ二ウム製の巨大円盤に描かれている絵は、昭和30年代初期の八木用水での子供たちです。(写真2参照)田んぼと八木用水の間の畔道(あぜみち)を女の子2人と男の子2人からなる子供たちが歩いている時の写真をベースに描いた絵です。八木用水は、今もこの絵の様に、残り少なくなった田んぼの中を農業用水として穏やかに流れています。

写真2 

八木用水とあぜ道の子供たち

 

八木用水のクスノキ:

八木用水里道に、鳥がクスノキの種を運んで来て、その種が発芽し何十年が経過して、写真3の様に大きくなりました。そこで、地元有志が、広島市安佐南区管理課及び八木用水土地改良区から許可承認を得て、その里道のクスノキを保存しました。クスノキは、広島市の木となっています。

写真3 

八木用水のクスノキ

 

ミニ八木用水の実験水路:

2001年将来の八木用水の整備案として、写真4の様な実験水路を造りました。実験水路は、全長37mの三面コンクリート製(現在の八木用水と同じ材料)です。内部水面上に水草栽培床があり、水草栽培床の内部は、魚の隠れる場所となっています。水路では魚種としては、フナ、ハヤ、金魚等の淡水魚を飼育しています。長年この実験水路を親子づれや小学生が観察している様子を観てきました。

写真4

ミニ八木用水実験水路

 

 

太田川の風景を描いた巨大円盤:

水の都広島は、太田川と共に発展して来ました。円盤に描かれている絵は、昭和30年代初期の西原と牛田の間の太田川(アストラムライン祇園新橋近く)の風景です。鮎釣りや川下りの船及び荷物運搬用帆掛け船を確認できます。広島が水の都とも言われる理由がそれらに伺うことができます。

写真5 

昭和30年代初期の西原太田川の風景画

 

おわりに:

私は、1949(昭和24)年、西原一丁目の八木用水のそばで生まれ、八木用水で魚とりをして遊び、大学で水質分析の知識を得て大手建設会社入社し、数多くの水質汚濁防止装置や大規模水族館を設計建設しました。又、42歳になってからは、大手半導体工場に勤務しで半導体製造時に使用する薬品廃液に関係する新水処理技術を開発し、国内のみならず米国、欧州、韓国及び札幌での国際会議において、開発した新技術を発表する機会を得ました。これら私の人生経験の根源は、八木用水での魚とり等自然体験が生きていることより、私の使命として実家西原4丁目近くに関係する施設を設置して来ました。これら施設は、私が小学生の昭和30年代初期の西原の風景等を中心したモニュメント等(写真2~写真5)で構成されています。

 


参考:山嵜さんの著作物のご紹介

 

山嵜さんと水との関わりについて、述べておられます。

 

私の水人生と・こだわり: ある薬剤師の水処理人生 Amazon Kindle版 (こちらをクリックしてください。)